1月 31日 (月) 9連勤! 今年も早いもので、残すところあと11ヶ月になりました。 年々、一年のスピードが早くなってくる気がする。 これはうかうかしていると、気がつけば三十路とか、そんなこともありうるのではないか。 夢は追い続けていきたいし、いつまでも中二病のままでいたいけれど、それでもねえ、限界ってものもあるでしょうに。 人間必ず何処かで頑張らなければならないとは、誰の言葉だったか。 頑張ってます、と他人に言っている以上、それは頑張ってないのでしょうな。 さて、つい先日聞いた話。 「ラッキーばかりで、自分の実力が伴っていない気がする」という悩みをかかえている方がいました。 「棚からぼた餅のような出来事だけで、適当にやっているのに上手くいっている」と、そういうことが怖かったようです。 それに対し、別の人がこう返したそうです。 「棚から落ちてくるぼた餅を拾えるのは、ぼた餅を取ろうとする強い意思のある人だけだ」 それに非常に感銘を受けて、やる気を持てたそうです。いい話です。 これを聞いて、中学時代のある出来事を思い出しました。 国語の授業中、「棚からぼた餅」の話をしているときに、生徒の一人が手をあげました。 「先生、棚からぼた餅って、努力していいものを手に入れるというニュアンスがあるんじゃないですか」 続けて、 「だって、ぼた餅を拾うためにはその棚の下で待ち構えていないといけませんから」 すると先生一言。 「ばーか」 まあ、「棚からぼた餅」という諺には「努力して云々」なんていう意味はありませんな。 何もしなくても得られるから「棚からぼた餅」なのでありまして、これに限らず、諺の言葉に揚げ足をとっても元の意味は変わらないのです。 だから、国語の先生が「ばーか」と言ったのは、そりゃわかります、わかりますとも。それは勉強不足ですから。 だからといって、最初の方の話題は間違いか、と言えばそうでもないのでしょう。 その場合大事なことは諺の意味ではなく、相手が言った言葉を応用して相手を励ますということで、それは極めて高等テクニックだと思うのです。 二つの例は、似たようなことを言っておきながらも状況によって全然違います。 言葉なんて元々そういうものなのかもしれませんが、何よりも素敵だと思うことは使いどころにぴったりとハマった言葉を扱えることだと思います。 今日、研修でお世話になった方にメールをしたところ、その返事に、僕がやっていた卓球を例に出して励ましの言葉をくれました。 多分、例となるのは卓球でなくてもいいのでしょう。テニスでも、サッカーでも、もしかしたら華道とか軽音楽でもいいのかもしれません。 ただ、相手に合わせた言葉を使って、そして相手に伝わりやすくする。それの大事さを学ぶことができたような気がするのです。 会話は非常に難しいです。 口を開けば誤解を生み、意図していることは伝わらず、悪い時には他者を傷つける。 しかし、それが上手い人はそれなりの技術も持っていますし、相手のことを考えられているのでしょう。 なんともすごく難しそうな気がしますが、自分も自分なりにモノにしていきたいものです。 とまあ、今日はちょっと心に残った話。 ◇ ◇ ◇ 1月も終わる! 終わってしまうよ! 今月の読書数は5冊でした。ちょっと少ない。 年間目標80冊。来月はもっと読めたらいいな。 |
1月 30日 (日) 寒いぞー 今日も昨日に引き続き営業のお仕事に行ってきたー。 今日も売れた! それなりに売れた! 昨日名刺を配ったお客様が「あのう」と訪ねてきてくださったのも嬉しい。 売ることの楽しさと喜びを発見した二日間。 昨日とそう変わらない始まり方でございますが、内容もあまり変わらないのでございます。 このままだと、明日からまた一週間頑張ります、で終わってしまいますな。 部屋のエアコンが壊れた。 暖房にしても冷房にしても異音を奏でながら冷たい風を吹き出すという、超仕様に変貌。 スイング機能とか色々な機能も全て無視。オンオフのみの、冷風送風機となりました。もはや扇風機並。 おかげで超寒い。 付けない方がマシという寒さ。 今日は冷えました。 本当に冷える中、外でずっとティッシュを配ったりしていました。 そんなわけで家に帰ったら暖まるぞーと思っていた矢先にこれです。 これでは仕方がなさすぎるので、お風呂に入って温まろうと思いましたところ、お湯の残量が無いという始末。 お風呂も寒い寒いと言いながら入り、そして出たら出たで部屋も寒い。 もうこうなったら行き着く先は、布団しかないじゃない。 というわけで、早々と布団にダイブしたいと思います。 風邪引かないようにしないと。 |
1月 29日 (土) 一所懸命泳いだら、いつか魚になれますか 営業のお仕事に行ってきた。 売れた、売れたよ! 初めて売れたよ! と、売れることの喜びを発見。これは本当に嬉しい。 知識も足りないし、言葉も出てこないし、ミスも多いけれども、 「あらまーぎっちょなのーたいへんさぁーねぇー、いいんよゆっくり書いてくれたらー、俺は時間たっぷりあるんだからさー」 な感じで、許してくださるお客様に感謝。 明日もお仕事頑張ります! 土日消滅! 次の休みは来週の土曜日です。9連勤です。 猛烈に眠いです。座ったら睡魔がガンガン襲ってきました。 そんなわけで、こんな中途半端な長さですが、今日はここまで。 明日また、書けたらいいなぁ。 ちなみにこのサイトの法則。 明日書きます、という約束をすると、約束された日の日記は更新されない。 |
1月 28日 (金) 魔法と宗教と妖怪と こう、カタチのない、意味のわからない、どういうふうに解釈したらいいのかわからないような、それでいて奥が深い。 僕は魔法が大好きです。今さらだけれども。 ディズニーの「魔法使いの弟子」なんて映画がありますが、あれ、観ていないけれど「これが魔法だ」とか言いながら稲妻とか走らせてますよね。 ああいうの、なんか惚れます。 そんな中、魔法とセットになってくっついてくるのが、キリスト教。 残念ながら彼らの影響力は強すぎちゃって、魔女に対する弾圧とか異端裁判とか十字軍とか、もう色々と因縁めいた歴史の数々が眠っております。 で、そのキリスト教ってなんなの? なんてことをふと疑問に思ってしまうと、それこそどんどんどんどん深みにハマっていってしまうのです。困ったことに。 そして妖怪。 これについてはほとんど知識がないので、滅茶苦茶浅いことを言うけれども、これもまた脳内で解釈できないことを概念化させた物、ということで色々と通じるものがあるのです。 ええ、本当に浅くて申し訳ありません。 今現在、僕が興味を持っていることが、上記の三点であります。 さて、これをどうやって料理していくか、これが問題なのであります。 「範囲を決めないと、どんどん枝葉が増えて大変なことになるよ」 この言葉が実によくわかるのです。 浅い知識でしか物事を測れないので、どんどん範囲が広がって、ほころびが見つかったら勝手に補完して、なんて愚行にまで及んでしまいます。 例えば最近の例では「マグダラのマリア」。 こいつの存在が、僕をキリスト教スパイラルへと落し込みやがりました。誰だ、「瀬織津姫とマグダラのマリアは同一人物だ」だなんて言い出した輩は。 とはいえ。 最近はなんとか脳内で分類できるようにもなりました。 これ、ちょっと自分でも驚きなのだけれども、浴びるように乱雑に知識を集めたとしても、なんとかそれぞれの知識の点と点がつながっていく瞬間というのがあるのですな。 そうして上手いことフォルダ分けされていくわけで、ちょっと嬉しい感覚。 でもまあ、まだまだ「未分類」フォルダにあるネタが多すぎて、大変なのですけれども。 あとは自分の言葉となれば、上手いこと文章にも起こせましょうぞ。 多分。 相変わらず結論はなしな! <拍手レス> >>僕は貴方が知りたくて、ここに来ています。 >>貴方を知れば、明日も楽しく会話出来るでしょう? ありがたいことです。本当にありがたい事です。 是非とも語り合いましょうぞ。そこらで面白い話でも仕入れてくるので。 >>>よくよく考えてみるとこのサイトに来て下さっている方は何を求めているのでしょうか? >>小説は残念だけど浅葱クンの言うところのジャンクフードレベルを通り越して、素人料理レベルだと思う。 >>作品自体よりも作品に向けられた浅葱クンの必死さが可愛くて、それを求めてんのかなぁ。 >>小説書きは年季入ってるよーに見えんのにクオリティが残念であるのがなおさら残念なんだけど、その残念さも味わい深いかも。 >>もひとつ。本来なら小説に振り向けるべき経験・知識・情念が、 >>インターネットの日記の中で発散されているのを読むと、変なオトク感があるのも理由かも。 >>本気で小説書くなら日記とツイッターで発信してる言葉を全部小説に振り向ければ?とか思わなくもないけど、 >>そんな貴重な情報だから、美味しいのかも。 >>あと日記の内容に突っ込めば必ず返答をくれる浅葱クンの誠実なサービス精神にも、ついつい甘えたくなるのよ。うふふ。 いやはや、反応してくださってありがとうございます。 もはやあなたも常連様ですからね。 ところで今さらながら失礼を承知で訊きますが、僕はあなたに名乗られましたっけ? 小説に関しては、「邁進します!」としか言えないですね。なかなか手厳しい。 日記やツイッターに集中すれば集中するほど小説で書くネタがなくなってしまうとは、どこかで聞いたことがあります。 なるほど、そう言われてみるとダダ漏れにもほどがあるような気がします。 ただ、小説に向けたら向けたで、また小説にするのに苦悩してしまうので、今書いているようなネタは日記で書くほうが向いているのだと思います。 そこにお得感があればいいのですが。 |
1月 27日 (木) 来たるべき対話のために 我が家の会話。 僕「〜という面白いことがあったんだ」 父「その話に面白い要素はどこにもない」 ほら、ジェネレーションギャップとかあるしさ、僕らみたいな若者は箸が転げただけでも面白いのだよ、うん、だから解ってくれとは言わないし、そもそも解ってなんてもらえるわけがない、ええ、さして面白い話でもなかったでしょうよ。 ではなく。 面白いと思った話をいかに相手に伝えるか、ということは実に難しい。 というよりも、自分の思ったこと、もしくは考えたことを相手に伝えることは実に難しいと思う。 たまたま本日上長が「上手に伝えるためのうんたら」といった内容の講話をしてくださったのだけれども、実際にやってみるとなると大変なことだと思う。特に、日常会話のレベルだと。 ワタクシ浅葱つくみは相手に物事を伝えるということがヒジョーに下手くそなのだけれども、だからといって会話を放棄するわけにもいかないし、日記だって書いているし、そもそも小説だって書いているのだ。練習せねばなるまいて。 日記に関しては出来るだけ独りよがりな文章を避けたい、読む人に解りやすい文章でありたい、と思い続けてはいるのだ。そう。 ほぼ一方通行のコミュニケーションなのでどの程度伝わっているのか、そもそも確かめる手段がないのでなんとも言えないけれども、まあ、読み手のことは意識している。本当だよ? だからと言って、「こんなに解りやすく書いているんだから解ってくださいね」というつもりはない。 一応ベースが日記である以上、自分のことだけで終わってしまうことだってよくあるさ、というか最近そればっかりだ。 話を戻しましょう。 相手に伝えるということは僕にとって本当に難しくて、上手いトークが出来る人は心から尊敬する。 同期がマンションの飛び込み営業で、商品の販売に成功するという、新人としては快挙を成し遂げたのだが、それに対し彼は、 「たまたま欲しがっている人のところに行くことができた。つまり運である」といったような謙遜をしていた。 いやいや、ご謙遜を、僕がもしも同じ状況に置かれたとしたら、欲しがっている人であろうとも買ってもらえるかどうかわかりませぬ。 やっぱり、トークが上手いのだと思う。相手に伝えることが上手くいったからこそ、買ってもらえたわけですから。 ではでは、テクニックを学ぶのがいいのか、それとも上手い人の話し方の真似をしてみるのがいいのか、愚直に練習するのが良いか。 その答えは一向に出ませんし、恐らく出ないような気がします。 というよりも、小手先のテクニックでは測れない何かがそこにはあるような気がします。 例えば、テクニックだけじゃなくて、トークの上手い人は相手のことをよく観察している、とか。 それは非常に納得がいくわけで、相手のことを理解していれば誰だってそれなりにそこそこ面白い話ができるとは思う。多分。 では何だ、相手のことをよく考えるということが大事なのか。 なんともこの問題について自分自身に結論が出ていない以上、これだ! とは言えないのだけれども、相手のことを考えるということは伝えるために重要な要素なのではないでしょうか。 というわけで、「相手のことを考える」 まずはそれをテーマにしてやっていけばいいのかな、と、そんなことを考えた今日この頃。 そう言われてみれば、顧客第一、だなんて言葉もあったような。あれも顧客のことを考えて行動せよ、ということだと解釈したのだけれども……さてさて。 日記も軽々しくポーンと書いているけれども、よくよく考えてみるとこのサイトに来て下さっている方は何を求めているのでしょうか? 笑いは……人によってはあるかもしれないしないかもしれない。 批評や時事問題など、ほとんどありませぬ。 小説が一応メインだけれども……読んでくださる方は神様です。 義務でしょうか。それもまた一興。 特に情報を発信しているわけでもなく、浅葱つくみという人間をフィルターを通して"こした"状態で垂れ流しているだけのサイトです。 でも、見て頂けると本当に嬉しいです。どんなコメントもありがたいです。 ◇ ◇ ◇ 話は変わって、通信教育の問題がヤバい。 そういえば最近ヤバいって良い意味で使われるらしいですな。「これヤバくね?」とか。もはや判断の材料が相手の顔を見るしかない! ……と、いきなり二行目で脱線したのだけれども、とにかく通信教育の問題が僕にとって"よろしくない"。 「職場の問題について、上司に改善案を800文字以内で提案してください」 \なんぞ/ (・Д・) ええ、普通の会社員ならばこの問題、簡単かどうかは別として解けるのでしょう。 僕の場合、研修先をウロウロしていて職場がない、よって上司も身近にいない、そんな状態で改善案が書けますか! がしかし、この問題配点が31点。落としたら一気に69点満点に。 合格最低点が60点ということは、一気に落第レッドゾーンへ突入。 こいつのせいで、ずっとうんうん唸るハメに。 こうなったら話は変わってくる。 架空の組織をでっちあげて、そこに所属しているつもりで文書を作成するのだ。 それこそ、フィクションの世界を創造する小説書きの得意とする分野ではないのか! 無理ッス。 でも、それしか方法がなさそうなので、歯磨きのチューブのように無い知恵を搾り出して、なんとか書いてみます。 ええ、それしかなさそうなんです、本当に。 ……がんばるもん。 |
1月 26日 (水) そのまま溺死 やらなければいけないこと ・通信教育 ・小説執筆 ・散髪 ・抜歯 そのタスクは、土日のうちに済ませる予定でした。 がしかし、まさかの病気。 しかもそのまま火曜日まで熱が出続けるという事態へ! 医師曰く。 「体力無いでしょ」 実にその通り。 それはともかくとして、抱えているタスクをそのまま抱えたままやってきてしまいました。 おいおい。 小説執筆は自分で決めたことだからまだ自己責任で済むのだが、通信教育は会社のことだし、散髪はそろそろやっておかないと営業的によろしくない。 そして抜歯だけれども、これは虫歯になってしまった親知らずをこの機会に抜いちゃいましょう、と、そういうこと。 まあ……別にいつ抜いてもいいけれど、たまに痛みを発するので抜いてしまうに越したことはない。というか、放置していても治るわけがないし。 ……2月に持ち越しですな。色々と。 通信教育は、明日にでも終わりそうなのだけれども、残り三つがよろしくない。よろしくないぷー。 2月はどうなるのかわからないけれども、とりあえず忙しそうです。なんだか知らないけれども忙しそうなのです。もう既に予定がポツポツ入り始めています。 すなわち、忙しそうなのです。 お仕事の関係でもストレスが貯まるに違いないであろうことが予定されているしーやっていけるのかしらんー。 3月になれば3月になったで、また大いなるストレスを抱えることになるのでしょうけれども。 ああもう、早く安定したい! 軌道に乗りたい! そんな僕は明日から怒涛の9連勤です。 今週の土日がお仕事だから、昨日と今日が代わりにお休みだったんだよー。 ……え? 月月火水木金金みたいな? なにそれこわい。 最近、本棚を京極夏彦が占領中。 もうそろそろいいか、別の作家を読むか、と思っているのについつい買ってしまうし、長さを感じさせない面白さがそこにはあると思う。 文芸部員最後から二番目の武器でもあり、いざというときには銃弾から身を守ってくれる防具となると言われておりますように、問題はその厚さ。 本屋で買うと、その部分がすっぽりと抜けて、しかも両隣の本が倒れてくることもないという、独特の状態になります。 集めだすと楽しいけれど、実際問題として本棚のキャパシティをがりがりごりごり削ってくれます。 ……ただでさえ、本棚の二段目の板が軋んでいるのに。 そろそろ整理しなきゃ。 |
1月 24日 (月) 寝てろと 朝起きたら熱が下がっていないという。 ……ん、おかしい。 そんなわけで大事をとって欠勤。 なんだかちょこちょこ欠勤している気がする。いいのかなぁこれで社会人。 でも熱は相変わらず上がったり下がったりだけれども高熱ではないのでインフルエンザではないだろう寝ていれば治るだろうと思いきや。 「高熱が出ないし食欲もある。だけどインフルエンザってパターンもあるらしい」 まじでー? というわけで、病院に行ってきました。 病院は今日も商売大繁盛なご様子。行ったら一時間以上待たされたよ、こっちのほうが体に悪そう。 そして、お医者さんに鼻の中にプラスチックっぽい何か長い物を突っ込まれて「ひぎぃ」と涙を目に浮かべるワタクシ。 なんだあれ、人生で初めて味わったが……もしかして、ごく普通に行われているのか? 医者怖い医者。 まあ、結果は体力低下による体調不良。いうなればただの風邪。 「お薬は体に合わなさそうだし、体力無さそうだし、水分たくさん摂って寝てくださいね」と、風邪薬すら処方されないんでやんの。 「高熱が出たら飲んでみてもいいかもだけどオススメしないなぁ」と申し分程度に渡された解熱剤が悲しい。 誰がどう見ても虚弱体質な僕が、その面目を躍如した一日でした。 ……寝よう。 |
1月 23日 (日) 休日消滅 見事に風邪を引いたわけで、土曜日の朝目覚めてみたら熱があった。 そんなこんなで昨日は一日中眠っていたし、今日もずっと寝てました。熱はほとんど下がったけれども、まだ微熱がある。 うー。 しかし、なにはともあれインフルエンザでなかったのが幸い。 土曜日に高熱が出たときは、さすがにうろたえたけれども、すっかり下がって安心安心……? 仕事を休まずに済んだのは良かったけれど、土日が完全に消滅したのは悔しいなぁ。 小説書いたり通信教育やったり親知らず抜いたり友人と会ったりと、色々予定を詰めていたんだけれども……むう。 無理しないでゆっくり休みなさいってことかな? うーむ。 「Xperia arc」が今年の春には発売されるということで、思ったよりも早かったなぁ、なんてことを思っています。 何故ならXperiaユーザーからすると、arcに乗り換えたら違約金払わないといけないわけで……そこまでしてarcに乗り換えるメリットってあるのでしょうか? 大いにありますな。 ……なんというか、Xperiaはソニエリ初めてのスマートフォンということもあって、なんというか使い勝手が非常に悪くて、Xperiaの目玉であるアプリの大半が使えないのである。使わなければいいのだけれどもね。 使い勝手が悪いのはアプリだけじゃなくて、充電がすぐ切れるとか、音が悪いとか、動作が重いとか……ちょっとずつイライラするのだよー。 何せiPhoneという強力な比較対象がありまして、iPhoneより何が優れていますか? と考えてみたら、 電波がつながりやすい。 いやいや、これってドコモだからだよね!? おいおい! そんなわけで、Xperiaは「愛が必要」なスマートフォンの気がします。 デザイン格好いいとか、そういうことでキュンキュン出来ないと。 同期も続々と「Galaxy S」にしてしまいまして、搭載OSの差で大いに負けております。早くアップデートして欲しいんだけれど、どういうことなの。 とまあ、問題ありまくりなXperiaですが、これまたどうして使い慣れてくると本当に便利。 すごーく高度なテクニックとか使えればさらに面白くなるのだろうけど、そんなことしなくても十分にスマートフォンとして役立っています。 特に、グーグルとの同期は非常にありがたい。Gmail万歳。 でだ、Xperia arcは、インターフェイスとかバッテリーとか動作とかその他諸々、ストレスフリーなデザインになっているのでしょうか。 量販店に置いてあるモックだと、どいつもこいつもサクサク動くから、あまり信用ならないのだけれども……それでも、見に行っちゃうのは間違いないんだろうなぁ。 何にせよ、新しいものにはワクワクします。 ウワサではPSPケータイが出るというのも……いや、これはどうなんだろうって思うのだけれども。 <拍手レス> >>文学ファンって「読書」って言い回しが好きな印象だよねえ。 >>ほぼ小説・エッセイしか対象にしてない癖にさ。 >>娯楽・芸術・教養だけが読書じゃないことを自称:読書好きの文学ファンには知って欲しいね。 >>いや、文学が偉いと思うのは自由だと思うんだけど、 >>調子こいて文学以外の読書をシカトされるとムカつくよねえ。 >>>「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」の違い >>主人公がピンボールに熱中する場面の有無。 >>あと「1973年のピンボール」のほうがストーリー性が僅かに強い。鼠が旅立つ。 僕の周りには、そのような人がいないのでわかりかねますが……。 なかなか手厳しい意見をお持ちのようで。 その二作、本当にごっちゃになるんですよね。 やっぱりキーワードはピンボールですか……鼠が旅立つ、というのも忘れてました。忘れてしまうものですなー。 |
1月 20日 (木) みなぎってきた 本格的に営業が始まりました。 マンションを駆けのぼっては片っぱしからピンポンして商品を売り込むのです。 セールストークとか、流れとか、そういうことは勉強したし、頑張っちゃおうじゃないか! ……なんて意気込んではみてみるけれども、大半はインターホン越しに「興味ありません」。 ですよねー。 まあさ、出てきてくれればそれだけで結構大きいと思う。 そもそも出てきてくれないことには営業トークも何も無いのではないか! とは思いつつ、いやだがしかし、玄関先まで出てきていただくというのも営業と考え直す。 どうやればいいのだろう、どうしたら警戒されないだろう。 と、考えるのもなかなか楽しい。 ちょっとキツめの言葉をかけられたりもするけれども、それでも頑張っていきたいものです。折れないうちに。 ところで。 1月も下旬と呼ばれる時期に入ってきました。 残念ながら、小説は全くと言っていいほど書けておりません。 いくつか浮かんでは消え浮かんでは消えしている脳内プロットを上手いこと組み合わせて、一つの物語を生み出せたらよいのだけれども。 ファンタジーであることもエンターテイメントであることも主人公も登場人物も決まっていて彼らの性質とかも全部決まっていて、そして、物語が出来ない。 いつもと逆のパターンです。 僕の執筆スタイルが物語先行→ガジェット制作のはずが、ガジェットが先に用意されている。 これは僕にしては珍しいパターン。 そんなわけで、小説を書くというよりも料理を作るといった感覚に近いのかもしれませぬ。いや、料理なんてほとんど作らないのだけれども。 ええい、もういいや、作っちまえ。 レシピなんていらねぇ。 |
1月 19日 (水) 或いは 芥川賞・直木賞が選ばれましたな。 別に大学時代に文芸部に所属していたからといって、毎回毎回チェックしていたわけでもなく、たまに興味をもつ程度なので、今回もちょこちょこっと新聞で読んだっきり。 作品も読んだことないし、作者も知らないし、これから読む気もあまりないし、気が向いたら読もうかな、なんてその程度の気持ちだったりします。 とは思っていたのだけれども、道尾秀介が「向日葵の咲かない夏」の人だったことを同期の小森くんの指摘によって知る。 ああ、なるほど、と。 いつ読んだんだっけか、「このミス」で選ばれていたんだっけか、とにかく「向日葵の咲かない夏」の作者は覚えていないけれども作品は印象的だったので覚えている。 賛否両論の否の意見をよく聞くけれども、僕は好きですよ、あの作品。 僕にとっての読書は、ただ読んでおしまい、というものであり、その内容について深く考察することもましてや研究することもほとんど無かったりします。 つまり、読んで消費。そんなもの。もしかしたら血となり肉となっているのかもしれないけれども、それはわからない。 まあ、摂った食事が自分の体のどの部分にどのような影響を与えているのか、なんてわからないのと同じようなものだと思う。 そんなわけで、読んだ作品についてあまり語ることは出来ないし、どんどん記憶は欠落していくし、ただなんかこんなシーンあったよな、なんてあやふやな記憶で終わってしまうのです。 村上春樹作品も太宰治作品も例外ではなく。 「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」の違いが思い出せない。 しかしそれでも、印象に残ったのが「向日葵の咲かない夏」なのです。 ミステリーという性質上、語ればそれがどのような部分を語ったとしてもネタバレになりそうだし、直木賞をとったことからこれから読む方も多いと思うので語りませんが、気持ち悪さがあったな、と。 それは、「やられた!」という種類のものであると同時に、「これかよ!」という種類のものだったりして、さらには「こういうのはやめて欲しかった!」なんて僕の中にある何かに触れてしまったりして、それはもう大層気持ちが悪かったのを覚えております。 しかし、そのお陰か、記憶に残ってしまったようで、やはりそういう作品が書ける作家は何かを「持っている」のではないかと、そう思うのです。 小説なんて、もはや大量生産大量消費の時代に突入していると思います。 なんてことをわざわざ僕がこんなところで書かなくても、ほとんどの人が「そんなことわかっとるわい」と突っ込んでくるのではないかと思います。 で、その大量生産大量消費の時代だからこそ、記憶に残るないし印象的という物語は、大変貴重なものだと思うのです。 たとえるならば、スープがやたら美味しいラーメン屋みたいなものでしょうか。さっぱり意味が分からないですな。 まあまあ、僕自身もジャンクフードレベルの小説を公開している身であり、さらにはこれからも公開しますよ、だなんてそんな人物でアマチュアもプロとぶつからなければならないのですが……。 話を戻しますが、とにかく受賞する人はする人なりに何かを「持っている」ということであります。 たまたま「向日葵の咲かない夏」が印象的だったので、それ一冊で道尾秀介という作家を判断しているだけかもしれませんが、そのたまたま産み落とされた作品も「持っている」からこそあらわれたものに違いないのです。 個人的な趣味嗜好は一切おいておいて、今回の直木賞から、ちょっと考えてみた次第でございます。 ちょっと読んでみようかしら。 |
1月 18日 (火) 間とか 寄席に行ってきたよ! 人生始めての落語体験、楽しかったよー。 落語に関してはほとんど知識がなくて、せいぜいNHK教育の「にほんごであそぼ」程度の知識しか持ち合わせていなかったのだけれども、それはそれは面白かった。 とにもかくにも、話のテンポや間、それから表情、動作、口調、などなど、全てが全力でこちらを笑わせる方向に向けられていて、そして空間が一体となって、周りの人達の笑いとかが相乗効果となって、一気にのしかかってくるのである。 そりゃもう、笑わないわけにはいかないではないか。 もっと事前に知識を蓄えておけばよかったと、少々後悔。また機会があれば行きたいものである。 何が面白かった、これが面白かった、とそういったことが書けないのは知識があまりにも足りないからである。残念無念。 しかし、柳家小三治を筆頭に僕でも知っている人々がいらっしゃったので、これはもう、もしかしたらもしかしなくてもスゴイことなのではないか、とか思ったり。 だからこそ、もっと勉強しておけば、と思うのだが。 話は変わって、今までのBtoBtoBの営業から研修先を変えて、しばらくの間、訪問営業を行うことになりました。 飛び込み営業ってヤツです。初対面のお客様のところで商品を売ってまいります。 これに関しては、本当にどうなるかわからんので楽しみ半分不安半分。 せめて多くを学び取っていきたいと思っております。ああ、本当にどうなることやら。 「営業向きではない」という言葉がどれほどの根拠を持って放たれたのかわからないけれども、少なくとも実際の一ヶ月少々の経験では「営業向きではない」なんてことは「ない」ご様子。そのあたり、少し安心。 や、まだまだ序の口だし、先輩の同行ばかりなのでとても営業を行っているとは言えないかもしれない。しかしそれでも、多少なり自信を持てたのは確か。 ただ、自分がどう思われているのか、他人の言葉を気にしすぎている感が大いにあったので、振り回されないようにしていきたい。 しかして、僕は飛び込み営業に「向いている」のだろうか? そんな事自体考えること自体がナンセンスな気がする。 向いているとか向いていないとか一切合切無視して、まずは挑んでまいります。 |
1月 13日 (木) 終わりよければすべてヨシなのかー? 先週は、火水木と連日で飲み、金曜日のみを回避して土曜日に出勤してそのまま飲み、という肝臓にやさしくない一週間でした。 お酒を飲むのは嫌いじゃないのだけれども、頭が痛くなっちゃうのが嫌。 でも、土曜日に気心の知れた仲間と飲んだときは、全然気分も悪くならず、最後まで楽しく飲めた。飲んでいる量は変わらないのに。 不思議。 会社では「弱いんです」と言って通ったほうが、飲まされなくて楽。 「飲めやコラ」とは言われないだろうし……多分。 1月も結構なスピードでカレンダーがめくれていきます。 そうこうしているうちに、1日に立てた目標の「読み切りを書く」の締め切りが来てしまうのです。 とりあえず毎日何でもいいから文章を書くことで、書く癖をつける、というのは色々な人が言っていることなので間違いないはず。 少なくとも実践してみる価値はあるはず……と思って始めてみたけれども、意志の弱さからか出来ない日もあったりする。 朝早く起きて書けばいいんだよ! と、タイマーを早くセットしてみるものの、目覚めてみれば全然余裕が無いなんてこともしばしば。 \よくない/ それでもどこかでちゃんと書いていかないとねー。 会社の通信教育も今月末までだし、真面目にやらないと。 その真面目さをぐんぐん奪い取っていくのが、モンスターハンター。 現在上位に上がりまして、ハードボーンランス改を片手に、ナルガクルガ亜種なんかをツンツンつついています。 モンハン歴5年なのに、未だに下手っぴなので、よく死にます。 本当によく死にます。 でも、また誰かのお手伝いに行きたいものです。 でだ、トライをプレイしていないので知らなかったのだけれども、なんすかイビルジョーって。 名前はよく聞いていました。イビルジョーというモンスターがいること、とても強いということ、とにかくよく耳にする名前でした。 でも、モンハンのモンスターだろ? だったら狩れるって! なイメージできっと大したことないなんて楽観視をしていたら相対。 で……でっけぇぇぇぇ!? と、あまりの巨大さに、これ無理だわ、と直感。 いや、所詮ゲームのモンスター。倒せないはずはないと思って、えいや、と弓を放ってみたら、イビルジョーの攻撃で即死。 これ無理だわ。 でも、いつかは倒す日が来るのでしょう。 それがモンスターハンター。 今週は、ちょこちょこミスを連発。 決して小さくないミスもあって、先輩は笑って済ませてくれているけれども、申し訳なさ過ぎる。 とはいえ、裏をかえせば自分が積極的に行動している結果だと思う。 もちろん失敗は反省しなければならないのだけれども、次に同じことをしないようにたくさん学ぶべきことは学ぶことが出来ていると思う。 ただ、取り返しの付かないような巨大な失敗ではないけれども、少なからず会社に損失を生んでいることに違いはないので、そこらへん、社会人って大変。緊張感大事。 |
1月 5日 (水) 銃撃戦の音がする 二日連続で、上司と飲みに行ってきました。 ほどほどで留めたので、「飲んでないじゃないか」とは言われましたが、少々の頭痛で済みました。 今日飲んだ量は、ビールジョッキ一杯と焼酎グラス二杯。 ……昨日よりは飲んでいるよ? 一昨日より、ファンタジーがどうたらこうたら言っておりますが、これは僕が一番書きたいのがファンタジーであり、影響を受けた作品もファンタジーであり、そして好きな世界がファンタジーだからです。 特に魔法使いというものに非常に惹かれまして、「魔法使いが魔法を使って真正面から魔法を撃ちあうような作品」というのは、一種の憧れなのです。 とはいえ、そんな魔法ってのは極めてゲーム的かつ映画的でありまして、それでもなんとか自分でもそういった世界を構築したくて、名前を与えてカタチにしようと囲い込んでいくと、思わぬ抜け穴からするりと逃げるように、矛盾なんてものを内包してしまう。 魔法とはそんな恐ろしいものなのです。 しかも、なんとかそれでもカタチにしたとして、それを物語に組み込むとなるとまた難しい。 前提が「魔法という嘘」から始まっているので、嘘に嘘を重ねてかつ物語に組み込んでいかなければならず、それでいて必然性も与えなければならない。 それが僕を苦しめている要因だったりします。 とどのつまり、何が言いたいかというと、「魔法をテーマにすると色々考えすぎちゃってまとまらなくなっちゃう!」ということです。 まあ、あまり考えず、ロマンのみを追い求めて魔法をテーマにした作品を書くことも不可能ではないと思います。 何故なら、僕はそれで一回「〜トキノアメ〜」という作品を書いているのですから。 今から見直すと稚拙極まりない文章と設定とキャラクターですが、それでも書いているときに一番楽しかったのはあの作品……とは、何度もこの日記で語って いるような気がしますが、まあ、僕の目標は、もう一度「〜トキノアメ〜」を書いているときのような楽しさを取り戻したい。 そんなことであります。 楽しさを取り戻すための絶対条件が「ファンタジー小説を書く」ということでは必ずしもない気がしますが、ファンタジー小説は僕の原点であり、夢であり、ロマンであり、そして憧れなのです。 そんなわけで、次の作品はファンタジー小説! と決め込んで、フェンリルもびっくりの鎖を自らに巻きつけておりますが、蓄えに蓄え抜いた構想がどうやら少しずつカタチになっているようです。 そんなわけで、電車に乗っているとき、寝る前などなど、ぼんやりと魔法のことを考えています。そんな変人です、ワタシ。 あー……さっさと書こう。 <拍手レス> >>あけおめですー。 >>魔術は体系だった学問であり、現代科学の礎となったものだと思います。 >>それに対して超能力というものは、思い込みによる力、もしくは脳の未知の領域を駆使したものである、とよく定義されますよね。 >>ちなみに某インデックスでは魔術側と科学(超能力)側とで分けられてますが、僕としてはあれは逆であるような気がしてならないんですよね。。 >>超能力が、自分だけの世界を構築する事で得られる(思い込みによる)能力であるなら、余計な知識はない方が楽に能力を使用できる気がしますし。 >>…とまぁ、新年早々、走り書き失礼しました。 >>今年もよろしくお願い致します。 あけおめですー。 魔術は現代科学の礎! そうですね、かつて魔術と呼ばれていたものは、今から見なおしてみると科学的に理に適ったものもあったりするんですよね。 某インデックスに関する知識は殆ど無いのですが、魔術と科学が共存している社会がテーマなんでしたっけ? 詳しいことはわからないのですが、超能力を科学側に置いて魔術と対比させているのは面白いですね。 やはり超能力のほうが、「自分自身の内なる能力」というイメージが強い気がします。 余計な知識があると能力を使えない、というのもありそうですねー。意識するとボールを投げられなくなるピッチャーのように。 ありがとうございます。 今年もよろしくお願いします! >>『ノルウェイの森』の面白さが分からん☆ >>参考までにどこが面白いのか教えてくれ♪ >>「感じ方は人それぞれ」なんて答えは嫌だよ。 >>あくまでunagiクンの世界での良さが知りたい。 >>どうでも良いがHPのプロフィール欄での表記が『ノルウェーの森』になっとるね。 「ノルウェイの森」のどこが好きなのか、と訊かれることはよくあるのですが、毎回悩んでしまったりします。 すごく大雑把に言ってしまうと、「全体の雰囲気がたまらない」なのですが、これでは全然説得力がないと思うので少し具体的に。 最初から最後まで漂っている主人公の喪失感が、乾ききった文章によって表現されているのですが、その「乾ききった文章」が好きだったりします。 直子の心の痛みや、そして対照的に登場する緑との関わりがワタナベとからみ合って、上手い具合に世界を構築しています。 「どこが面白いのか?」と訊かれたら、そうして構築されているワタナベの世界を追っているうちに、自分がワタナベと一体化して一緒に喪失感……もっとシンプルに言うならば切なさを味わっているような感覚に陥るところだと思います。 また、そんな切なさを表現する数々のエピソード(キュウリやレイコのギター)が一分の無駄もなく描かれていることが「ノルウェイの森」の凄みだと感じます。 プロフィール欄についてはご指摘ありがとうございます。 ……ほとんど放置してました。直しておきます。 |
1月 4日 (火) がんがんするー 上司とお酒飲みに行ってきました。 結果、酔いました。 酔った結果、頭痛が激しいことになりました。 今日飲んだ量は、ビールジョッキ一杯。 ……一杯。 うそん、って具合に少ないのに、頭が痛くなって痛くなって仕方がなかった。 そういえば、先日酔ってダウンした時も、たいしてお酒は飲んでいなかったのだけれども……。 僕、こんなに弱かったかな? それでもまあ、ちょっと復活したのでよし。 昨日の魔法と超能力の話に関して、いくつか反応があったので、今日はそちらに答えていきたいと思います。 <拍手レス> >>自分の答え言わないで、他人に答えを求めるのは間違っていると思うよ。 >>言いたかないけど後出しジャンケンみたいで、後からパクる気満々に見えちゃうし、他人を見下しているようで何様?みたいな。 昨日の日記では、答えを投げっぱなしにしてしまいまして、申し訳ありません。 自分なりの答えはあるのですが、それは日記上ではなく小説で書いていきたいと思っています。 答えを求めているのではなく、「どう考えるのでしょうか」と軽い問い掛けのつもりだったのですが、言葉が足りなかったことにより不快にさせてしまったことは、申し訳ありません。 ただ一つ申し上げておきたいことは、他人の意見をパクる(と言えば聞こえは悪いのですが)気もなく、見下す気も一切無いということです。 >>魔法は『学問』で超能力はそれを飛び越えた感じの何か。 >>そんなイメージを僕は持っています。 >>神との契約とか暗黒物質とか、媒体は色々あるにしても手順を踏む等の制約の中で行うのが魔法、もしくは魔術。 >>とりあえず火とか吹いたり、なんとなく空を飛べるのは超能力。 >>そんな曖昧なイメージだったよ。 >>言葉の定義付けって難しいよねぇ。半島の国境線くらいに難しいよ…。 学問というのは、なるほど、と思います。 とりあえず僕自身も、魔術は何らかのシステムに基づいており、超能力は個人が内なる力を発揮するモノ、のように考えております。 で、魔術と魔法ってどう違うんですか? なんていう壁とも同時にぶつかってしまうわけですが。 まあ、そんな曖昧なものでいいと思う。 創作において大事なのは定義付け。 半島の境界線とはまた言い得て妙なり。 |
1月 3日 (月) 冬休み終了のお知らせ 明日から仕事だー! 六連休というのは思ったよりも長かった。 8日が始業式です、とか、そんな今までのノリから考えると短いのだけれども、宿題はないし、レポートもないし、そんな正月は思ったよりも新鮮だったよ。 いきなり昨日更新しないという、365日連続更新をする気なんて一切ない浅葱つくみです。 日記は、気楽に書いていきたいんだい。 ……ただ、ある程度習慣化しないと、本当に書けなくなるのでそれは困る。 連続更新も非常に意味があるのですよ。やっぱり一番見られるコンテンツは日記なので。 三ヶ日はのんびりと過ごしました。 のんびりと過ごしたと言っても、決して寝ていただけではないのだよ。 初詣に行ったり親戚の家に行ったり、そんなありきたりな年始だけれども、今年は初めて「お年玉をあげる側」になったのだ。 どんなポチ袋にしよーかなーと、わくわくしながら横浜の街を練り歩いて、いい感じのを探してみたりして。 そういうのが、とても楽しかった。これまでお年玉をくれていた人たちも、こんな思いだったのかな? なにはともあれ、新しい体験の一つ一つが楽しいのである。楽しいは正義。 魔法ファンタジーに対して、色々と考えてみた。 自分の原点は魔法ファンタジーで、これから書こうとしているのも書きたいのも魔法ファンタジーなので、しばしば魔法ファンタジーってなんだろうと考えるのだけれども、それについて新しいアプローチが飛んできた。 「超能力と魔法の違いって何?」 ……なるほど、と思ったね。 実はこの疑問、僕が魔法ファンタジーを書く上で敢えて無視した……というか無視せざるを得なかったことなのだけれども、科学では説明できない何かを扱っ ているところでは共通しているし、そもそも説明できないことを説明している言葉のくせに明確に名前が分かれているという曲者なのだ。 ライトノベルなんかでは、能力者バトルがよく行われているけれども、あれはあくまで能力。 それに対して、「指輪物語」なんかではガンダルフがぼーん、とよくわからないけれども稲妻みたいなものを放っている。あれは魔法って言ってる。じゃあ違いは? まあさ、説明できないものであるから、こうだ、という答えは出せないはずなんだ。 この問題、僕は一つの答えを出したのだけれども、皆様はどう考えるでしょうか。 もちろん答えは人それぞれだと思うし、物語を書く際にはいろいろな定義付けが出来ると思う。 それが、魔法への入り口。 そんな意味のわからないふわふわしたカタチのないものにカタチを与える作業が、僕はたまらなく好きです。 ……あまりやりすぎると屁理屈とも言う。 |
1月 1日 (土) 新年ですぞ あけましておめでとうございます! 2011年ですな。 2.1世紀の幕開けですな。 年が開けたということで、書くことといえば今年の目標とか抱負とかそういったものだと思うんだ。 しかし、なんと、年明け一番最初の日記で書いた目標のほとんどが有言不実行で終わるという、ダメダメっぷりが発揮されるのです! ちなみに、これまでの目標は、 2007年(大学2年生):連載する → 「ルインの種」で達成。 2008年(大学3年生):新人賞投稿、同人誌作成 → 両方出来ず。 2009年(大学4年生):何か形を残す → 何も形を残せず。 2010年(社会人1年目):コミケ出展、短編3本 → 両方出来ず。 ……うん、ここ数年連続でダメダメ。 一年の始まりをいきなり反省で始めるという、そんなダメダメ感満載でごめんなさい。 今まで、長期的な目標のみを見据えすぎてしまい、短期的な目標とかそういうものが見えなさ過ぎていたので、ちょっとずつ目標設定していこうと思います。 ☆2月までの目標☆ 短編か中編か、読み切りの作品を一本書く。 これで。 最近影響を受けた本に、「面白さとか考えなくていいから、とにかく書けよ、完成させろよ!」と書いてありまして、そうなのかーと思っていたら、今日の朝日新聞にも「休日に五時間書こうよ」とか書いてあったので……これはもう、書くしかないかな、と。 誰も強制しないし、自由だし、締切りもないし、目標もないし……それがこんなに苦しいとは。 言い訳ならばアンリミテッドに制作できるのに。 そんなんでいいのか? と自問自答すると、「嫌である、嫌である!」と胸の奥が拒絶するのである。永遠の中二病。 まず、書く。 ☆6月までの目標☆ 長編(200枚以上)を一本完成させる。 どのような形式で公開するかは決めていないけれど、長編があれば色々出来ると思う。 ☆12月までの目標☆ 新人賞への投稿用作品の執筆。 ……ざっくりしすぎか? うーん? でもまあ、まずはこれで。 とりあえず、何かしらの自己表現とか創作意欲とか、そういうものが燃えているうちは書いていきたい。 去年の秋には、充電期間という言い訳を設けてしまった……けれど、たくさんのことをインプットできたと信じているので、まずは吐き出す方向で。 一年は今日から始まるんだよね。 ということで、これから執筆。えいえいおー、だぜ。 と、ここまでが今年の目標とか創作活動に関する話題。 ここからは昨日の話題。 えっ、年明けたのに年末の話!? ええ、年末の話です。昨日の話です。昨日は振り返るだけで、昨日のことに全然触れなかったので。 さて、Twitterでもつぶやいていたのだけれども、昨日はコミケに行ってきました。 2009年夏以来のコミケです。 目的は、吉村麻之さんの「むきりょくかん。」と、今野隼史さんの「辺境紳士社交場」、そして日向そらさんの「HUMMING LIFE」。 知り合いと言うのも、面識があると言うのもおこがましい感じなのですが、一度はお会いしたことのある方々のところに行ってきました。 安心して行くことが出来るというのがとにかくありがたい。 そんな具合で「浅葱つくみでございますー」と訪ねてまいりました。 ノベルゲームに、イラスト、そして音楽と、様々なジャンルに触れることができたのがなにより。 ほんの一言二言だけでも、創作を行なっている方々と言葉を交わせるのが嬉しい。ちゃんと戦利品も入手してほくほくなのです。 らぃえさんをはじめとした、「むきりょくかん。」関係の人々とも会うことができて楽しかったです。 また是非、会いたいものです。 今は、日向そらさんのCDをループ再生。 今回のシングルヤベェっす、格好いいです。茶太さんの声素敵です。 では、今日の日記はこれにて終了! 皆様、今年もよろしくお願いいたします! |